網代へようこそ

南熱海、網代・多賀は、のどかで良い町です。
都心の喧騒から離れたくなったら、
いつでもお越し下さい。
心身ともに癒してくれます。

網代港

「京、大阪に江戸、網代」と呼ばれ、港町として隆盛を極めた網代温泉。別名「南熱海温泉」と呼ばれる熱海の秘湯。豊富な湯量を誇り、源泉を持つ宿もございます。江戸時代から港町として栄えた網代は、熱海温泉に比べどこか庶民的でのどかな風景を残す温泉地です。
潮の香りにつられて海沿に出れば、そこは「干物銀座」。網代名物の干物屋が30軒近く軒を並べています。現在も、豊富な水揚げ量を誇る網代港。中でもアジが有名で、「アジの姿造り」はここ網代が発祥の地と言われています。珍しい海上釣り堀や筏釣りもあり、遠く熱海の町並みや大海原を眺めながらの海釣りは爽快。町中に漂う潮の香りを感じながら、良質の温泉で疲れを癒し新鮮な海の幸に舌鼓。初めて訪れてもどこか懐かしい、漁師町特有の風情を残す網代。心と体をゆったり癒やすなら、伊豆網代温泉へお越しください。

網代の風物

網代の歴史

網代港の遠景

網代の由来

網代の港は昔から漁業が盛んでした。また、大風が吹くと、荒波をさけるため近くにいる船が避難をする港としても有名です。網代港は、その昔、網を入れる漁夫の漁場でしたが後に漁が盛んになるにつれて、港の入江に漁夫の小屋ができはじめ家も増えてきました。そして、やがて網を入れる場所である網代の名が、こうした漁家や小屋の建つ村の名になったと言われています。
「網代」の説はまちまちですが、古歌に「うじ川はよどむ瀬もなし網代人 船よふこえのおちこちきこゆ」などと詠まれています。
網代とは、網を入れる場所であり、その名がやがて網代村となったと言うことです。

江戸時代廻船でにぎわった網代港

網代港は伊豆東海岸随一の天然の良港で、「京大阪に江戸網代」といわれ、諸国の廻船でにぎわっていました。江戸に幕府がおかれると物資は江戸を中心に運ばれるようになりました。九州・四国・大坂・堺・名古屋方面からも千石船のような大型帆船、中型の帆船の廻船、小型の押送船が網代港に入港しました。
江戸への海路の要衝として、順風に帆を上げれば約10時間、朝5時に発てば午後3時頃には、江戸に到着する地の利を得た港でした。風の力で航行する帆船は良い風向きになるまで、何日も港に碇泊していました。このため港には廻船宿が設けられてにぎわうようになりました。
また、滞在中に船荷を売るときはその斡旋の口銭の収入も入りました。更に航海中に台風などのシケに合った船の積荷米は濡米となり上納できませんでした。そこでこの米は「濡米」として村役人を通じて入札され、田のない網代の人は安い米を買うことができました。このように港の商人、船宿も多く、網代港は江戸時代にすこぶる活気にみちた港町となりました。

大正時代の網代港(絵はがきより)